刑部の覚悟の死、治部の無念の死、関ヶ原に参陣。 | 奴隷解放戦線異常なし???  ~海外でデイトレ生活~

刑部の覚悟の死、治部の無念の死、関ヶ原に参陣。

クリスマスが嵐のように過ぎ去り、あとはお正月に向けてどこまで仕事をするべきか。
既に一部の関係者は休暇に入っている。羨ましいな~、と思いながらも、既に僕もペースダウン。
こんな僕のスピード感が国際標準だと思うが、日本人はラストスパート中?

さて、日記の続き。

追記:今日の記事は普段に増して独りよがりな内容になってます。
    正直なところ、読む価値無いです・・・。


12/9(木)

Utada☆さんにお世話になりっぱなしの東海道中膝栗毛。
最終日は、バンコク戦国同好会の聖地関ヶ原へ。

Utada☆さんと僕は、バンコク大食い同好会の創設期メンバー。
その名に恥じぬよう、朝から牛丼。街道沿いの吉野家へ。多分、僕は3年ぶりの吉野家。
やはり合戦の地へ向かう前は、たっぷり栄養補給。牛丼大盛り。

ちなみに、誰も興味ない話でしょうが、
関ヶ原の戦いで勝利した東軍の勝因の一つに「充実した兵糧」を挙げる学者もいます。
東軍は、大阪から会津征伐に出兵し、そこから一気に引き返して東海道を駆け上がってきています。

その際の兵糧の確保には本来であれば苦労したはず。

しかし、あの豊臣家子飼いの家臣福島正則が、
豊臣家から預かっていた兵糧20万石を家康に差し出しているのです。

そんな地味だが、非常に重要な裏切りがあったわけです。
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正則もまさか、江戸幕府開幕後まもなくして、
徳川家から難癖をつけられてお取り潰しになるとは予想していなかったことでしょう。天罰です。

すみません、ついつい熱くなってしまいました。

関ヶ原では、史料館を見学し、その後は、関ヶ原の大地を、脳内布陣とつき合わせながら、
あそこに宇喜多秀家、あの山麓に小早川秀秋、あの建物の周辺に井伊直政などと、
ブツブツと呟きながら時を過ごす。
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ひとりで戦国ワールドに入り込む。
Utada☆さんも怪訝な顔。完全に狂人扱いされる。当たり前だ。

関ヶ原で完全に戦国スウィッチがONになった僕は、その勢いで大垣城へなだれ込む。
Utada☆さんを車に残し、城郭内を散策。
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大垣城は、関ヶ原当時は伊藤氏の居城。西軍側の武将です。
三成をはじめ西軍は、最初は大垣城に入城。

城攻めを得意としない家康は、野戦に持ち込むために、関ヶ原に西軍を誘い出したといわれています。

江戸時代は、戸田氏の居城となる。騎乗の武将は初代藩主戸田氏鉄。
治水工事や新田開発で大きな功績を上げ、大垣藩は公称10万石であったが、
数字以上に豊かな藩であったようです。
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大垣城を落城させ、帰路につく。そしてなぜか食べた家系ラーメン「山岡家」

東海道中膝栗毛。これにて終了。Utada☆さんに感謝。ありがとう。本当にありがとう。